:NO.120,121,122『波乱の時代とさようならおじいちゃん』

hiroki-u2008-11-09

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波乱の時代(上)(下) (ハードカバー)、特別版―サブプライム問題を語る (単行本)
アラン グリーンスパン (著), 山岡 洋一/高遠 裕子 (翻訳)
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[ 7点 ] ※10点満点中

著者は、18年間にわたって世界経済の司令塔として活躍したグリーンスパンFRB議長。上巻は自らの回顧録、下巻はグローバル経済の現状と未来予測、そして、特別編ではサブプライムローンに端を発した未曾有の金融危機について。

こんなアメリ金融危機再来の時期だからこそ、読んでみようと思った本です。
でも、特に面白かったのは、アメリカの事ではなく、彼の目から見た20世紀のソ連と日本。

冷戦時代のソ連は、まさに中央集権的に"経済"を掌握しようとしていた。ゴスプラン(国家計画委員会)の作る投入算出表によって。これは、「十一の時間帯にわたるソ連各地にある工場のひとつひとつにおいて、生産する商品すべての種類、量、価格」を指示する役割を担っている、いわばソ連経済の未来予測図のようなもの。グリーンスパンがこれを見せてもらった時に、「プトレマイオスの天動説のように完璧に作られていた」と感想を述べているように、その時代の知識の粋を集めて、ソ連は計画的に"経済"を操ろうとしていた。(皮肉なことに、グリーンスパンと面談したゴスプラン幹部がハーバード大学出身の経済学者というのが面白い。)
だが、歴史が証明するように人類は"経済"を操ることなど出来ない。(これから出来るようになるもしれないが、少なくとも現時点では・・・。)

ソ連の崩壊で、大きな実験が完了した。自由市場に基づく経済体制と中央計画型社会主義に基づく経済体制のどちらが優れているかをめぐる長年の論争は終わった。たしかにいまでも、古いタイプの社会主義を支持する人はいる。だが、社会主義者の大部分はいまでは、ごく薄められた形の社会主義、ときに市場社会主義と呼ばれるものを主張している。(上巻:P.204)

また、日本に対しては、2000年に宮沢喜一蔵相との会談が面白い。この会談でバブル崩壊後の日本経済の回復を抑えていた見えざる経済的要因が何なのか分かったという。

わたしの話を辛抱強く聞いていた宮沢蔵相は、穏やかな笑みを浮かべながら、こういった。「アラン、日本の銀行の問題について、じつに鋭い分析をしてくれた。対策についてだが、それは、日本のやり方ではない」。債務不履行に陥った企業や個人を破綻させること、銀行の担保を処分することは、従業員を解雇することと同じように、避けるべきである。日本人が従う文明の慣例では、体面を失うような行動は、ほとんど考えられないことだった。
(中略)
見えていなかったのは、経済的なものではなかった。文化的な要因だった。日本人は、多くの企業や個人が傷つくのを避けるため、あえて巨額のコストがかかる経済の停滞を受け入れたのだ。アメリカがこうした路線で、経済政策を行うことは考えられない。(下巻:P.56)

と、体面を失うようなことが出来ない文化的な要因であえて"非合理的"な行動を取り、失われた10年を過ごしてしまったと理解したわけだが・・・、

奇妙なことだが、これと同じ集団の連帯意識が、今後、主要先進国が直面する高齢化に伴う財政負担から、日本経済を救おうとしている。日本の年金給付水準は、将来維持できないと思えるが、どうするつもりなのかと最近、日本の高官に尋ねた。すると、給付水準を下げるし、それは問題にならない、日本人は制度の変更を国益の中で考える、それで十分なのだ、という答えが返ってきた。アメリカの議会や有権者が、ここまで合理的に振る舞うとは想像できない。(下巻:P.57)

年金問題で給付水準を下げることに対して、連帯意識という文化的な要因がアメリカでは考えられないような"合理的"な行動を可能にしていると、サイコーに皮肉っている。一部の人間が体面を失うことはNGでも、全国民が同時に痛みを被るのはOKだという日本の文化的な側面は彼にとっては理解不能だということか。ていうか、それは僕にとっても理解不能なんだけど・・・。

P.S 先週、私の祖父が亡くなり、その間に一気にこの本を読みました。祖父は95歳でこの世を去りましたが、本書に書かれている80年間より15年も昔からの生き証人でした。僕が小さい頃には、主に仏教、農業、戦争(第二次世界大戦で中国へ出兵)についていろいろと教えてくれました。僕にとっては、祖父が昔ながらの日本文化の象徴であり、そこから日本文化の良い面がたくさんあることを知っています。
これから、日本の文化的な側面がプラスに働くような社会にしていかなくてはと、祖父の死と本書を重ね合わせて感じる今日この頃です。

波乱の時代に生きたおじいちゃん、お疲れ様でした。ありがとう。

波乱の時代(上)

波乱の時代(上)

波乱の時代(下)

波乱の時代(下)

波乱の時代 特別版―サブプライム問題を語る

波乱の時代 特別版―サブプライム問題を語る